fan-percy’s blog

徒然なるままに

価値観の改革

こんばんは。

コロナ騒ぎの今現在、皆さんはどうお過ごしでしょうか。

今こそ有意義な生活をするためにはどうすればいいのか、全員が頭を抱えて取り組めるいい機会だと思います。是非ともみんなでアイデアを振り絞り、つまらない日常、厳しいコロナの現実を打開していきたいところだと考えています。

 

さて、今日書こうと思っているのは政治のことについてです。昨日の国会中継を見て政治のことについて考えてみたいなと思い書こうと思った次第であります。

 

 みなさんは今の政治をどう考えますか。

 

今日において、私たち若者が日本に希望を持つには、政治という手段はあまりにも悲惨だとは思いませんか。富士山型から時代が移ることによりその形を変化し、土偶みたいな形の人口ピラミッドに移りゆくのを見るたびに、高齢化民主主義が日本の若者にとっていかに不都合で破綻したシステムかということが伺えます。若者が政治で日本を変えるのは、すごく難しいことです。

なぜなら日本は多数決の意見が勝つから。


 


 しかし僕たち若者は、世界を本当に変えることができる唯一無二の武器を持っています。

 

「新しい価値観」です。

 


 コロナショックであらゆる価値観が変わりました。身近にもそんな経験ありませんか?

 

 例を挙げてみます。

 こんな非常事態にわざわざ出社させるような悪しき文化に「違うだろ」と、やっと言えるようになりました。非常事態だからこそ気づいた新しい気づきでしょう。副業も、禁止どころか推奨されるようになりました。学校における集団授業は、もはや過去の産物です。偏差値教育よりも、子供全員にPCを与えて各々の個性を伸ばそうという声が、より時代に求められています。


 
 受け継いだ伝統よりも「新しい価値観」のほうが力を持つ時代って、明治維新以来、約150年間ほとんどなかった瞬間だと思うのです。

 
 無駄な会議があれば「これオンラインでできませんか?」と、僕らから提案できるようになりました。これからは、先輩よりも仕事が早く終わったら、先に帰って、休んでいいのです。昔の悪しき風習、文化はもうありません。この価値観の変化は生産的な働き方が、これからの日本の復興にどうしても必要になったからです。
 

 

 平成の最後にラグビー日本代表が個性を生かし、クリエイティブな戦術を選び、多様性を祝っていくのがこれからの日本の姿だと教えてくれました。スキャンダルの芸能人を追走する番組や誰かを罵倒するようなTV、雑誌はもう古いのです。

これからはそんなこと書くなんて、放送するなんてと発言していきましょう。

 

 

 誰かの生活を優しく想像することがより団結力をもたらすことを、このコロナ自粛期間の間鮮明に感じているはずです。(もし自分のせいで誰かにコロナウイルスが移ってしまては申し訳がたたないという想像)

 こうして「新しい価値観」を上の世代にしっかりと提示すること、その価値観に基づいて実践すること、これが大きな変化をもたらすと思うのです。

 さらに素晴らしいことに、多数・少数が意識される政治の世界と違って、たった1人の「新しい価値観」が世界を変えます。

 


これがまさに、我々だけしか持っていない武器なのです。

 


 
 

 
 

 

 

 

 先人たちのおかげで高度な文明社会に生きているぼくたちは、上司より効率的に仕事をして早く帰るだけで、新しい価値観を生んだことになります。もうこれ以上、時代や環境のせいにして文句だけ言って逃げるのはやめましょう。もちろんこういう考え方が苦手なひともたくさんいるはず(こういう考え方が、時に人を傷つけます)なので、そういう人こそ、コロナ自粛期間中に学んだその素敵な想像力を優しさに変える努力をし、新しい時代を支えていきましょう。
 シルバー民主主義においてはほとんど力を持たない我々ですが、SNSという新しい媒体を見事に使いこなし世論を作っているという意味では、新時代の文明において最もイノベーティブな人種なのです。先人たちの誰よりも僕たちの方が優れています。自信を持っていきましょう。

 

こんなチャンス早々こないと思いませんか?

 

 

 

fan-percy

青い春

3月。桜の芽もまだ垣間見えない寒々とした空気の中、僕の青春は終わった。

 

3年前の春。桜が凜々と咲き、校舎の前の桜道を沿うように学生がぞろぞろ歩いていく。

その道には大人びた先輩方、心躍らせた新入生、桜を見ようと辺りを見つめている一般の人。全員が全く知らない人達なのにあの空間には新入生を歓迎するような、新しい春を迎えるような温かいハーモニーが生まれていたと思う。

三重奏みたいだ。

 

あの温かい春から色んなことを経験した。

ほんとに長い生活だったなって思う。

 

 

 

大学生はクズだ。

 

路上で酒を飲みまくり暴れて警察にお世話になったり、未成年からタバコを吸ったり、承認欲求のためなのかどうしようも無い素行不良をしたりする。

学校生活に真面目に行く人はほぼ半分ぐらいで、残りの半分はズルズル単位を落とし、卒業ギリギリになって単位が足りてないことに気づき、慌てて授業を取りに行く。

周りの人間はそんなやつばっかりだ。

 

けど、そんな彼らとの日々はほんとに楽しかった。

どうしようもないことで笑い合い、誰かを軽い笑い者にしながらもみんなで肩を組み、友情を育んでいくあの雰囲気は僕は好きだ。

しょうもない思い出から大切な思い出まで全てが宝物だ。

 

 

 

 

けどね、それって別に大学行ってない人でもできるし、大学に行った意味ってそれだけ?って言われると悲しくなるんよね。

 

高校の時の友達、意識の高い学部の友達は色んなことに挑戦してた。

海外に目を向けて、自分ができる可能な限りのことを模索し誰かのために役に立ってる人。

 

全く笑顔のなかった老後施設に訪問し、側から見るととても面白いとは思えないけれど、一生懸命パフォーマンスを披露し、それをきっかけに施設全体を活気付かせた人。

 

比較してどうだろう。

 

別にこれらを真似したかったとかではない。

真似したかったわけではないんだけど、なぜか負けたな。虚無だわ。って思う時がある。

 

 

酒でいくら誤魔化してもこの気持ちは正直だ。

遊んでばかりだった大学生活。

さっきも言ったけど思い出はほんとに楽しかった。

けどまだ違うこと何かしたかったなって。

 

高校の時、英語の先生が言ってた大学では何をするかが本当に重要だ。って言葉の意味を初めて咀嚼できた気分だ。

楽しい思い出を取り除けば、学んだことなんてほんとに空っぽだ。

 

これを読んでる人はどう考えるか分からない。

楽しいだけの生活でもいいじゃないか。って言う人もいてくれるのかな。

 

 

あーあ。今日始めたばかりだけどクソみたいなことしか書けない。そうゆう人生を変えたような経験がないから。

 

なんて人生なんだって将来の僕は今の僕を笑うだろうか。

 

けど、後悔だらけでもない。

あの笑い合った日々は絶対その意識の高い大学同期の日々よりも楽しかったはずだろうし、笑うことは人生を彩る一番大事なファクターだと思う。

 

もう終わってしまったことは変えられない。

これから何か始めればいいのだから。

 

 

 

 

 

僕と同じように大学でなんか学んだっけなって思う人。

一緒にこれから何か変えようよ。

考え方を。行動を。人生を。

 

 

僕はこれから研究者として絶対学びの多い人生にしていきたい。

いつかみんなの生活の一部となるような医薬品を開発し、みんなから感謝される日々を夢見て。

 

 

 

 

 

 

 

最後になったけど、大学で楽しさの全てを教えてくれて大学生活をカラフルに彩ってくれたみんな。

愛してる。

また遊ぼうな。

 

始めたばかりで拙い文章ですがご精読ありがとうございました。

 

fan-percy